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ボルツァーノ

 ボルツァーノ自治県 (Provincia autonoma di Bolzano) は、イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州に属する2つの県のうちの北側の県である。県都ボルツァーノを中心とするこの県域は、イタリア語で「アディジェ川上流」を意味するアルト・アディジェ (Alto Adige) 、又はドイツ語およびラディン語で南チロル(Sudtirol) とも呼ばれる。

 イタリアでは唯一、3つの公用語を併用する県である。県民の母語は、最も多いのがドイツ語 (69.15%) で、イタリア語 (26.47%) がそれに続き、レト・ロマンス語群のラディン語 (4.37%) が山間部に分布する。

  《歴史》

 県域は、中世には神聖ローマ帝国のチロル伯領の一部であった。伯位は1363年にハプスブルク家のルドルフ4世の手に渡って以来、1918年までハプスブルク家の歴代当主に継承され、チロル地方はドイツ語圏の一部として支配された。しかし、県域となるチロルはイタリア語圏との交錯地域であり、イタリア語を母語とする少数派住民もいた。

 1861年にイタリア王国が成立した後も、オーストリア領にはイタリア語を母語とする 人々が居住する地域があり、イタリア政府はこれらの地域をも王国に統合することを目 標とした。ヴェネツィアを中心とするヴェネト州は、1866年の普墺戦争の賠償としてオーストリアから割譲させることに成功したが、その後残りの地域は「未回収のイタリア」と呼ばれ併合の機会をうかがった。この「未回収地」には、南チロル地方もその南に隣接するトレンティーノ地方と一体のものとして含まれていた。しかし、イタリアはフランスと敵対するようになると、ドイツやオーストリアとの友好関係を築かざるを得ず、1882年に両国と三国同盟を締結すると、未回収地問題は封印された。

 第一次世界大戦においてイタリアは、当初は中立を宣言したが、1915年4月にロンドンにおいて協商国側との間でオーストリアからの「未回収地」の割譲を条件として参戦する旨の秘密協定を締結し、5月24日に参戦した。1918年11月3日の休戦協定以降、イタリアは軍を南チロルに駐留させ、1919年9月10日調印のサン=ジェルマン条約で正式にイタリア領となった。

ヴォルザーノ地図.jpg
南チロル 地図.jpg
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